鋳物工場が、まちなかに
ギャラリーをつくった理由
昭和26年(1951年)の創業当時、平和合金は高岡市の金屋町にありました。
その頃の金屋町は、「高岡銅器・発祥の地」という名前にふさわしく、アルミ鋳物や着色、仏具鋳物の工場、資材屋、地金屋など、鋳物にまつわる仕事場がひしめき合っていました。
それから70年余りが経ち、現在では工場の移転や廃業によって、金屋町で鋳物をつくる工場も減りました。
地元の若者たちでさえ、鋳物と金屋町のつながりを知る人は少ないでしょう。
高岡のものづくりの技術を、この金屋町から発信することで、かつて金屋町が活気ある鋳物の産地であったことを広い世代に知ってもらい、次の世代に繋いでいきたい。
そんな思いを込めて、初代から代々受け継ぐ平和合金の雅号である「陽峯(ようほう)」の二字を冠したギャラリーを金屋町にオープンしました。